過去の宝物に込める最後の感謝〈人形供養〉

※この記事は、人形供養をするための場面や日本人形の写真が含まれています。これらの写真には供養の心を込めて撮影したものですが、一部の方にとっては、感情的な影響を与える場合があるかもしれません。安心してご覧いただける方のみ、読み進めてください。

 

1.物を見直すタイミング

 

ライフステージが変わるときに 物を見直すタイミングがやってきます。

ライフステージとは、独立、就職、結婚、出産、別居、同居、死別などの家族の構成やライフスタイルによって、暮らしの変化をむかえる段階をさします。※1

そのタイミングは、物を見直すとても良いきっかけでそれを逃すと先送りにしがちになります。

我が家も昨年、同居の義父が旅立ちました。

遺品整理を始めた中で、階段下の納戸から忘れ去られたような日本人形がたくさん出てきました。

家は22年前に新築し、私たち家族は16年前に越してきましたが、一度も見たことがなく、存在すら知りませんでした。殆どが主人と義理姉のものですが、きっと大切に飾られている時期もあったのだと思います。

 

2.  感謝の気持ちを込めた最後の別れ

 

日本人形は命が宿っているように感じます。

それは、人間の形を忠実に再現しているからでしょうか。「目がある」という事だけで、明らかに捨てがたい気持ちになります。そのため、そのままゴミとして捨ててしまうのは、いけないことのように感じてしまいます。

我が家では、義理母が会員になっている葬儀社のセレモニーで人形を供養してくれる(無料)との事だったので、まとめてお願いする事にしました。

 

Step 1

人形供養は、ガラスケースのままでは持ちこめません。そのためケースから取り出し、人形、木枠、ガラスに分けてます。

 

Step 2

解体すると、沢山の枠や土台が出ます。


 

Step 3

ガラスもたくさん出てきます。ケガをに気を付けて、慎重に扱います。

 

Step 4

地域によって異なりますが、私の地域は、木枠は燃えないゴミとして纏めて出します。


 

Step 5

ガラスと段ボールも、燃えないゴミとして廃棄します。(地域によって異なりますので、ご自身の地域の分類をお調べください。)

 

Step 6

代表で1体の五月人形を残し、その他の人形は、葬儀社に持ち込み、供養して頂きました。

気持ちの問題ですが、人形の顔が全員分見えるようにしました。



3. 人形供養の文化

「人形供養という習俗はイメージに反し実は現代的な習俗であり『作られた伝統』であることが指摘されている。」という資料を見つけました。※2

鳴海氏によると、

 

1.初期の目的 (1918年):教育改革の一環として、子供の情操教育を目的に行われた。人形を人間と同様に扱い、壊れた人形を供養する事で子供たちの同情心や親切心を育むことが意図されていたと示されてあります。

 

2.戦後の目的:寺社が人形供養を行うようになり、伝統行事としてのイメージが強まった。人形供養は、寺社で行われることで、より広く一般に認識されるようになったと示されています。

 

3.1980年代以降の目的:高度経済成長や都市化に伴い、家のスペースが限られる中で人形を処分する手段としての意味合いが強まったとあります。また、日本人形の怖いイメージが浸透し、紙がのびる人形などの影響で人形供養の件数が増加したようです。さらに、イベント化されたようです。

 

現在は、神社やお寺で有料でお焚き上げをして供養してくれるところがあります。また、葬儀社によるイベントでの供養もありますので、必ず、出来るだけ多く調べて、比べて、お選びすることをおすすめします。

 

4. 問題なのは忘れ去られていたこと

我が家には、他にも義理母の雛人形、私の雛人形、息子の五月人形がありますが、いずれも1年に一回は飾ります。このように、その存在を把握し活かしているならば、所有する意味があります。
ですが、忘れ去られて、ただ保管していたことが問題なのです。

役目を終えたものは、然るべき方法で処分しなければなりません。もちろん、改めて認識しその価値を活かせるなら、それはそれで良い事だと思います。

例えば、売れるなら売る、欲しい人がいるならば譲る、寄付できるなら寄付するなど。

そうでなければ、認識していない物をただただ増やしているだけになります。

 

快適な生活をするため、タイミングを逃すことなく、身軽になるためにも役目を終えたものは、感謝を込めて手放していきましょう。

※1  精選版 日本国語大辞典

※2  鳴海あかり(2024). 人形供養の形成と発展について. 國學院大學学術情報リポジトリ